2023/05/31  【読書】『音楽の根源にあるもの』

引き続きインド音楽について

 

misogi21.hatenablog.com

音楽に関する一般的な内容から幅広く書かれていますが、

主にインド音楽について抜粋です。

谷川俊太郎さんとの対談もあり、

ことばの勉強、という観点から面白いです

 

 

サワリというのは三味線や琵琶のような弦楽器で、弾いた弦が振動して、棹の一部に触れる現象で、このためしびれるような雑音が発せられる。三味線や琵琶を奏でたことのある人なら誰でも知っていることだが、知らない人でも三味線の一の糸をデーンと弾いた時に、何となくその音の中に、鋼鉄のような、しかし幽かな響きがあることを、無意識のうちに体験しているはずである。

(略)

インドはサワリを愛好する点で、東洋の代表選手の資格がある。ラビ・シャンカルの演奏するシタールにも、南インドのビーナにも、また独島のエコー効果をもつ共鳴弦をたくさん張ったサーランギにも、このサワリの原理が使われているし、タブラやムリダンガムといった太鼓の皮の張り方にも、重ねた皮の間に隙間を作ってサワリの効果を与えるような工夫が施してある。そして、すべてのインド音楽の伴奏に使われるタンブーラという撥弦楽器はただこの原理を拡大して、サワリのついた音階の主要音のみを奏でるために、特に作られ、発達した楽器である。

 

ドイツのカール・ビュッヒャーという経済学者が『労働とリズム』という本を書いて、労働のリズムが如何に強く音楽のリズム構造に影響するかを説いたことがあった。その本は大へん売れて20数版も繰り返し出版されたが、今では民族音楽学者はあまりビュッヒャーの業績を高く評価していない。

(略)

労働のリズムに直結した歌は、たしかに存在することは認められるが、それよりももっと多くの労働歌は、労働の合間に歌われるもの、たえと労働の能率はそれによって上がらなくとも、また場合によっては、むしろ労働のさまたげになっても、労働の疲れを癒してくれるもの、また労働のあとに、その喜びを再び思い出させてくれるもの、さらに労働への憧れや、仕事への祈りをこめたものなど、むしろ労働そのものから一歩離れたところに存在する。

(略)

むしろ歌が「民謡」としてひろく共同体的な意識に上って来るのは、このような非日常性を契機としていると考えることが出来る。

筆者のこうした疑問や考えを、現代フォーク・ソングの第一人者と言われる米国のピート。シーガー氏に話したことがある。彼は初めは筆者の意外な発言に驚いたようであったが、やがて注意深く耳を傾け、最後にこう言った。

「なるほど、民謡がほんとうの意味でのリクリエーション(再び創造すること)であることがわかった」

 

インドの放送局では、スタジオ内に招いたお客さんがまだ世間話などをしている間にも、放送時間がくるとスイッチを入れ、音楽家は演奏を始める。まだザワザワガヤガヤしている中で音楽家はラーガを奏で、人々は次第に世間話よりも音楽により一層興味を持ち始める。そしてほんとうに音楽だけが聞こえるようになるのは、放送時間の四分の一が過ぎた頃である。ところが音楽は次第に佳境に入り、音楽家が秘技の限りを示し始めた時、放送局ではスイッチを切り、放送終了のアナウンスが行われる。しかし音楽家は演奏を続け、スタジオ内の聴衆もじっと耳を傾けている。

 

インド音楽は、この点特に著しい日本との違いを見せる。すべての緊張感は第一拍の直前に集中する。第一拍(それをシャームという)に至るまで次第に拍を細かく刻み、シンコペーションによる不安定な音価の積み重ねが、シャームにおいて一時に解放される。したがってインドのリズムでは、シャームにおいてシャームは第一拍であると同時に、解放点でもある。

(略)

こう見てくると、音楽のリズムの構造はただ客観的に分析してみるだけでなく、それぞれの民族において、出発感や終止感というものをどのように把握しているかという体験の問題になってくることがわかる。そのためにこそ、日常生活や習慣や、物事の「始め」と「終り」の感覚が、如何に強く音楽のリズムに関係しているかの基礎があるといえる。鐘が鳴ってからでないと集まらない学生諸君の感覚は、わらべうたや民謡のリズムにもあらわれてくるわけである。

 

もうひとつ、インド人の夫婦を知ってるんですが、この人はアメリカの大学の先生をしてる。それで本来のマザー・タングはテルグ語なんです。インド人ですからヒンディー語が国語なんです。ところが日常生活はアメリカに住んでますから英語なんですよ。それでいろんなことばがチャンポンになっちゃった。そこの男の子は、ある程度大きくなってきてもなんも喋らない。これらの言うことは全部わかるんです。英語でいえば英語でわかる。お母さんがテルグ語でいえばテルグ語でわかる。お父さんがヒンディー語で教えればヒンディー語でちゃんとわかるんですけど、自分ではなにも言わない。(中略)家庭のなかではすべてテルグ語、夫婦の間でも、子供とお父さんが話すときもテルグ語で話してテルグ語で答えさせる。(中略)そうしたら、やっと子供がテルグ語で喋るようになってきた。そうしたら同時に英語も喋るようになった。わかったんですよ、子供は。このことばはこういうときに、このことばはこういうときに喋ってもいいもんだと区別がつくようになった。そしたらどんどん喋るようになった。だから、子供をバイリンガルで育てるのにはテクニックが要る。ちゃんとどういう場合にはどういうってことを区別してあげないと、子供は混乱するんですよ。だからバイリンガルとはいいながら、やはりどっちかが基礎になるわけですね。

 

たとえばインドのガンジー首相が日本においでになった際、文化政策の点で文化人とも話したいからということで、私一度迎賓館に呼ばれましてインド音楽の話をしたことがあります。そのときも、われわれにとっては非常に辛辣に、日本の近代化というのは大へんに注目すべきものがあり、政治的並びに経済的には大いに学ぶものがある、だけど文化的にはあまり学ぶものがないじゃないかとおっしゃるんです。随分はっきりおっしゃるなと思って、「たとえばどういうことですか」と言ったら、「たとえば若い人に会って歌舞伎や能のことを聞いてみたら、歌舞伎や能というのは伝統的な芸能でしょう、そういうことについて全く興味もないし知識もない、したがって日本は文化的に近代化する時点において自分たちの伝統をあまりにも軽んじてうまくいかなかった、だから本当は日本の音楽教育のやり方なんかもインドでは参考になるかと思いましたが、どうもあまり参考になるものがないようだ」と。「じゃ、インドの現状についてあなたはどう思うのですか」と私が質問しましたら、インドの音楽は、たとえばラビ・シャンカルは世界的にもてはやされていて、インド音楽の芸術的な高さが世界的に認識されるということは非常にうれしいことなんだけれども、インド国内のことを考えると、あれはあくまで一部の特権階級のクラッシック音楽である、そういうものは民衆とのつながりが、もちろんいろんな意味で深いんだけれども、直接民衆そのものの音楽でないから、インドの国内的な見方をすれば、外国でどんなにもてはやされようとインドの音楽文化の将来はむずかしいということを言っていました

(これってインディラ・ガンディーですよね)

 

インドネシアのことが結構取り上げられていて、

インドネシアガムランを聴きたくなったりしました

 

この手の本をもっとずーっとずーっと若い頃に

出会って読みたかったなぁと思いう

今日この頃です