非医療従事者が「国境なき医師団」の半数だとは。
国境なき医師団のサイト
ツイッターで、いとうせいこうさんのツイートが流れてきて、そのきっかけでこの本を取りました。
いとうさん自身が「国境なき医師団」で働く方々のもとへ出向いてインタビューされています。
私たちが観光客でないと判明したからかもしれませんが、「MSF!」と響いた瞬間に空気が変わり、この人たちの進路を妨げてはいけない、という意思が広がるのを感じました。まるで敬意の合図のように発せられる「MSF!」を、私はその後もの耳にしました。
64歳のカールはなんと初めてのミッションでハイチに来ていました。ドイツでエンジニアとして働いて、MSFを目指したのは60歳頃からだと言います。
「そろそろ誰かの役に立つ頃だと思ったんですよ。そして時が満ちた。私はここにいる」
初々しい笑顔で語ってくれました。若さとは年齢ではなく、精神のあり方なのですね。
薬剤の多くがインドから運ばれたものでした。現在インドは「途上国の薬局」と呼ばれています。インドは薬剤の特許付与に他国よりも厳しい条件を設けていて、それがジェネリック薬の健全な市場競争を実現しているのです。
文化的仲介者は、ギリシャの難民支援活動に特徴的かつ重要な存在で、シリアやイラク、エジプトやアフガニスタンなどから逃げてくる人々に応じて、言葉を通訳し、それぞれの慣習を医師に説明し、また患者にVoVの支援方針や内容を理解してもらいます。
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文化的仲介者には、もともと難民として移動してきた人が多くいます。だからこそ彼らは患者の気持ちもニーズもよくわかります。また、このシステムは難民の雇用を生み出す一助にもなっています。
アフリカのゆったりした服、中東の白い着衣、女性の腰に巻かれた鮮やかな色の布、様々なデザインをまとった人々が行き交います。
この豊かな国際性はなんでしょう。頭が混乱しました。まるで世界共和国が具現化されているかのように見えたからです。
むろん彼らは好んで国際的なのではなく、各地で人を支えきれなくなった現代社会に、まるで事故のように民族を超えた「町」が出現してしまったのです。
「損をするほうを選びなさい。そして、一番弱い人たちのために働くんです」
「『明日への対話』人道援助、そのジレンマ―『国境なき医師団』の経験から」という本があります。著者のロニー・ブローーマンは初期MSFの発展に貢献したフランス人で、今も元気に活動されています。この本を呼んで、人道援助は道徳的義務であるという考え方たヨーロッパの人たちに浸透しているのだと感じました。これを宗教も文化も歴史も異なる日本でどのように共有していけるだろうか。生活の中に根ざしていけるだろうか。それが僕の課題です。
政治家を目指していた方の話。
僕が衝撃を受けたのは仲間たちの姿です。医師も看護師も若い人も年配の人も、みんな自分の国にいたらもっと快適な生活がおくれるはずなのに、治安も住環境も給料も条件の悪いところにわざわざ来て。
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肌の色、目の色、髪の色、ばらばらの人たちがMSFの名のもとに集まって、緊急人道援助が必要な人たちのために働いている。自分がその一員であることを忘れるくらい見惚れてしまって、MSFはすごい組織だなとつくづく感心しました。
仲間を誇りに思いました。会社では得たことがない感覚です。ビジネスは競争やノルマの世界だったんですね。MSFのしごとをずっと続けようと思った瞬間でした。
変なことを言うようですが、正直なところ、銀行からなくなった方の情報が届いて振込が行われて、うれしいと思ったことが一度もないんです。大切なご寄付です。貴重な活動資金です。もし私が企業の営業だったら「ノルマ達成だ。これでインセンティブが入るぞ」と喜んだのかもしれません。でもそうじゃないんです。
ありがたい、という気持ちだけが胸にこみ上げてきます。ひとえにありがたいです。「ご遺志を確かに受け取りました。ありがとうございます」と心の中でつぶやいて、ファンドレイジングという仕事の責任を噛みしめています。
「日本だと社長のためとか、給料のためとか、あるいは不安だからとか、そういうモチベーションですよね。どうしても世間が神様という感じがあります。でも、ここでは個でいられます。誰と比較する必要もありません。自分で計画を立てて、患者さんのために動くだけ。MSFはシンプルです。だからストレスがありません」
「国境なき医師団」というからには医療従事者ばかりと思っていましたが、半数は組織を運営する人たちで構成されているんですね。
いとうせいこうさんがなぜ「国境なき医師団」に寄付をしているのか、という前書きの話しも面白いです。
これをきっかっけに、人道支援にまつわる本もいくつか読んでみます。
「『明日への対話』人道援助、そのジレンマ―『国境なき医師団』の経験から」も気になるリストに入れました。