自然農法に関する考え方が学べる本。なぜかNHKラジオフランス語講座を聴いているときに知りました。
7月の末頃だったと思うのですが、ラジオのフランス語講座でフランスの農業に関する紹介がありました。そのなかで「フランスの農業に影響を与えた考え方がある」という内容で、この福岡正信さんの「わら一本の革命」が紹介されていました。
さらに福岡さんの命日は8月16日。
「奇跡のリンゴ」の方にも影響を与えた本だそうですね。
自然農法、というよりは、自然哲学の話です。
食事のとり方などについて参考にしたく、メモをしながら読んでいたのですが、最後にこんなことが書いてあったので。
哲理を学んで、食を解釈するより、食生活の中から哲理を知る、いや神を知る、仏になることが目的である。
問題は、ああすればよい、こうすればよいという自然食を説くよりも、無一物即無尽蔵、何がなくてもよいという自然人を造れば、万事が氷解する。
肩をこしらえておいて、病人を治す自然食に没頭するより、病人が出ない自然食の確立が先決であろう。
私は、病人と思わぬ健全な人こそ重患の病人であり、そのような人を救う道こそ重大だと思ってい るのである。病人は医者が助けてもくれるが、健康な者を救ってくれる人はいない。その名医は自然 のみである。
自然食の最大の価値と役目は、人間を自然のふところに還すことにある。
山小屋に入って原始生活をし、自然食を食べ、自然農法を実践する青年達は、やっぱり人間の究極 目標に向かって、最短距離に立つものの姿といえるだろう。
この有 機農法研究というのは、フランスで生れたもので、こういう団体ができておるわけなんですが、これ は、西洋人のものの考え方、科学的な農法に対してですね、西洋人の中にも、不安感をいだく人が出 てきて、東洋の思想にあこがれて、東洋の農法がむしろ参考になるんじゃないかという考え方をもっ てきて、有機農法研究会を作ったというのが事の起こりでありまして、その師匠というのは、むしろ 東洋であった。
福岡さんが、なぜ自然農法を目指すにいたったか、について
私は、港が明けていくのを、うつらうつらと見るともなく見ておりました。崖の下から吹き上げてくる朝風で、さっと朝もやが晴れてきました。そのとき、ちょうどゴイサギが飛んできて、一声する どく鳴きながら飛び去ったんです。バタバタッと羽音を立てて。
その瞬間、自分の中でモヤモヤしていた、あらゆる混迷の霧というようなものが、吹っ飛んでしま ったような気がしたんです。私が持ち続けていた思いとか、考えとかが、一瞬のうちに消え失せてし まったんです。私の確信していた一切のよりどころといいますか、 平常の頼みとしていた全てのものが、一ぺんに吹っ飛んでしまった。
そして私は、そのとき、ただ一つのことがわかったような気がしました。 そのときに、思わず自分の口から出た言葉は、「この世には何もないじゃないか」ということだっ たんです。“ない”ということが、わかったような気がしたんです。
今まで、ある、あると思って、一生懸命に握りしめていたものが、一瞬の間になくなってしまって、 実は何にもないんだ、自分は架空の観念を握りしめていたにすぎなかったのだ、ということがわかっ たような気がしたんです。
私は、まさに狂喜乱舞というか、非常に晴ればれとした気持ちになって、その瞬間から生きかえったような感じがしました。
とたんに、森で鳴いている小鳥の声が聞こえるし、朝露が、のぼった太陽にキラキラ光っている。 木々の緑がきらめきながらふるえている。 森羅万象に歓喜の生命が宿るというか、ここが地上の天国だったということをいうことを感じたんです。
福岡さんは、最後は小屋にこもって時間を忘れて暮らしたそうです。
何を食べるか、も大事ではあるんですが、まずは空腹を感じて健康的な身体づくりに励みたいです。
福岡さんについて調べていたら、下記の気になる本を見つけたんですが、図書館でも見つかりませんでした。
福岡正信先生とインド
おまけ
フランスで自然農業をしていることを日本語であげているフランス人がいらっしゃいます。私は彼の土作りを動画を参考にして、昨秋、畑を仕込みました。