はずれ者が進化をつくる

雑草魂に対する考え方が変わります。

雑草魂、というと、「踏まれても踏まれても起き上がる」というイメージがありますが、実際の雑草というのは、踏まれたら立ち上がらないし、踏まれたら上に伸びようともしないそうです。

雑草は下に伸びます。

根を伸ばすのです。

根を伸ばしても、見た目には成長していないように見えるかもしれません。しかし、 見えないところで根が成長していきます。

根は植物を支え、水や養分を吸収する大切なものです。

人間も、「根性」や「心根」という言葉を使います。 本当は、根っこが大事だと知っているのです。

昔の人たちは、大切に水をやっている野菜や作物が夏の日照りで枯れていくのに、ど うして誰も水をやらない雑草が青々としているのだろうと不思議がりました。

水をもらっている作物と、誰も水を与えてくれない雑草では、根の張り方が違います。 つらいとき、耐えるとき、雑草はじっと根を伸ばします。 その根っこが、日照りになったときに、力を発揮するのです。

雑草から生き方についても考えさせられます。

赤ちゃんはやがて子どもになります。子どもは成長して大人になります。大人は年を経て老人になっていきます。

そこには何の意思もありません。何の努力もありません。

生きるってそれだけのことです。生きるために必要な力は、ちゃんと体に備わっています。

生きることに余分な力はいりません。 生きることに何の努力もいらないのです。 しかし、ときに私たちは生きることに疲れてしまいます。生きることが嫌になったり、 生きにくいと思ってしまうこともあります。

人間の脳は優秀な器官ですが、考えすぎるという欠点があります。そしてときどき判断を間違えてしまうのです。

皆さんのまわりを見てみてください。

生きたくないなんて思っている生き物は一つもいません。 脳が間違えたとき、皆さんの体の細胞を見てみてください。 脳がどんなに生きる希望 を失っても、私たちの髪の毛は伸びることをやめようとはしません。 心臓も動き続けますし、肺も呼吸をやめようとはしません。

生きたくないなんて思っている生命はないのです。

あなたの身の回りを見てみてください。

たくさんの虫たちが、たくさんの鳥たちが、そして、たくさんの微生物たちが、そうやって生きています。

生きるって、ただ、それだけのことなのです。

今を生きる、与えられている今を大切に生きる。

生き物たちは、「今を生きること」の連続です。

「生きる目的がわからない」とか、「何のために生きるのか」などという生き物は一つ もいません。そして、「生きるのに疲れた」とか、「死にたい」と思う生き物は一つもい ないのです。

与えられた時間を精一杯大切に生きる。そして、命のバトンを次の世代に渡して死んでゆく。

それが生物にとって「生きる」ということです。

ただ、それだけのことなのです。

どんな生き物もそうやって生きています。生きるって単純です。

いや生きるってそれだけじゃない、とあなたは思うかもしれません。

生きることには、ももっとうれしいことや楽しいことだってあるじゃないか、生きがい

だってあるじゃないか、そう思うかもしれません。

そうだとしたら、それはとても幸せなことです。

わずかでも、生まれたことにそんな意味を見出せたとしたら、それはとてもすごいことなのです。

この本は、↓の本の理解の助けになるかな、と思って手にしました。小学・中学生の頃に、稲垣先生の考え方に触れていたら、生物の時間がもっと楽しかったでしょうね。最近、畦道を走っている私には、雑草見ながら考えさせられることが多くなりそうです。

私は、「はずれ者が進化をつくる」を読んで、おいおい数学・化学・物理の勉強をしようと決意しました。高校生のときに、文系・理系の選抜試験が面倒だという理由で文系へ進んだだめ、理系の人が授業でやったことをいまも知らないので。知らなくても、もう長いこと生きてきたんですが、やり直したい、という気持ちが芽生えてきたので、その気持は大事にしたいです。

小学校では、算数は計算問題が主です。しかし、中学や高校で習う数学は、難しいパ ズルを解くような面白さもあります。大学に行って数学を勉強すると、抽象的だったり、 この世に存在しえないような世界を、数字で表現し始めます。もはや哲学のようです。 計算問題が面倒くさいというだけで、「苦手」と決めつけてしまうと、数学の本当の面 白さに出会うことはないかもしれません。

勉強は得意なことを探すことでもあります。苦手なことを無理してやる必要はありま せん。最後は、得意なところで勝負すればいいのです。しかし、得意なことを探すため には、すぐに苦手と決めて捨ててしまわないことが大切なのです。