産業史は生命の自然なリズム、『情報の文明学』

情報とはこんにゃくのようなものなり。

情報の文明学 (中公文庫)情報の文明学 (中公文庫)
(1999/04)
梅棹 忠夫

商品詳細を見る

まず、この本が10年以上前に書かれたというのが、すごい。

知的生産術でもおなじみな梅棹さんの情報論。

以下本文より抜粋しております(8割  )。

特徴的なのが、産業史を外胚葉産業・中胚葉・内胚葉という分類にしていること。

これは発生学にヒントを得た考え方。

gaihaiyou

画像はこちらより

情報においては、

最初は消化器系の機能充足をはかる食料生産が主となり(外胚葉)

つぎに筋肉系の機能の充足をはかる物質・エネルギーの生産が主力になる(中胚葉)。

最後に、脳神経系、感覚諸器官の機能充足をはかる情報の生産が主力(内胚葉)になっていく、という考え方。

(最近、生物系の話好きだなー自分。

身体を動かすことで自分の生態系とか生物としての人間にせまってきた感じ?ってBUSHIDOUさんにコメントいただいて嬉しかったので・・)

農業の時代には、人間が食うことに追われていた時代。

これを人間の身体に置き換えると、消化器官系の充足の時代。

ということでこれを内胚葉時代。

そして次にでてくる工業の時代。

この時代を特徴づけるのは、生活物質とエネルギーの生産

いわば人間の手足の労働の代行で、より一般的に言えば、筋肉を中心とする中胚葉諸器官の機能充足の時代。

最後に残ったのが外胚葉。

これが現在の情報社会。

感覚、それから脳神経系の作用、ようするにこれは情報。

人類の産業史は、有機体としての人間の諸機能の段階的拡充をしめている。

・・・・・・・・

哲学的な言い方をするならば、こういう三つの段階をへて展開していく人間の産業史は、実は生命体としての人間の自己実現の過程だ、と考えることができる。

農業、工業、情報というように産業がおきかわっていくのではなく、

並存しながら重点がうつっていく。

■こんにゃく情報論

こんにゃくは栄養がないからといって、食品として無価値であるとはいえない。それは歯触りその他で味覚に満足をあたえ、消火管のなかにはいることで、満腹感をあたえる。

情報を得たからとって、ほとんどなんの得もない。それは感覚器官でうけとめられ、脳内を通過するだけである。しかしこれによって感覚器官および脳神経系はおおいに緊張し活動する。

大脳が存在する限り、それは情報を消化してしまう。

生物体の非合理性

生物体は、すべての部分が目的論的に解釈できるものではない。

言語の発達によって、コミュニケーションも可能になった。

(意思伝達のために言語が発達したとはいいきれない)

今、コンサルタントの方たちを地方の農家に派遣するような仕組みがあるようですが、私も都会で会社の仕組みづくりに貢献できるよう訓練して、自分の地方に還元できるようになっていきたいなぁと思います。

この本でも梅棹さんの発想は豊か。すごいなぁ。

私も読書でここまで自分の理論を展開できるように

なっていきたいなぁと思いました。

道は長いですけど・・・。

感覚器官、脳神経系の活動があればこそ、生は存在する。

「生」は情報とともに存在する。

生の根源に情報が存在する。

ナレッジワーカーの方はぜひ一読を。