具体例を求めすぎる自分への警告、の「おとなの小論文教室」

昨日、6月6日で、ほぼ日刊イトイ新聞は11周年だそうです。

このサイトに出会ったのは、2001年のことだったかと思いますが、

進化してますねぇ。

今回、グサッと思い当たる点があって、ひっかかったのが、

こちら山田ズーニーさんの、「おとなの小論文教室」(毎週水曜更新)

さらわれる力

講義後の感想を書かせると具体例のことしか残ってない。

なにか意見をというと、

あくまで具体例の中の出来事にしか、ものが言えない

そういう人がいるというのだ。

「具体」から「抽象」へ、「抽象」から「具体」へ

という頭の中の変換が、どうも、

うまくいってないようなのだ。

これを解決するためには、「要約せよ」ということなのですが、

私の場合、自分が理解できないことは、具体例を提示することを求めたり、

自分なりに「具体的にはこういうことですか」と話を進めることが多いです。

具体例が多い本はですぐ行動におこせるのがいいと思っているのですが、

抽象的な本(哲学など)がベースにあると、広がりの程度が違います。

わざわざ高いお金を払って大学に学問にきているのに、

ダメな人というのは、ひとつには、

「いまの自分の世界から出られない人」

を言うのかなあと思う。

すべてを、自分側の、狭くちいさな関心に

引き寄せてとらえ、

そこにひっかからないものは、スルーしてしまう。

自分とは遠い、関係のない、スケール感のちがうものを、

つかみにいったり、くらいついたりして、

自分の世界をうんと遠くへ広げることができない。

いや、「広げる術を持たない」と

言ったほうがいいかもしれない。

勝間和代さんがやることより、やらないことを決めよとおっしゃっているように、私も最近「やらないこと」を決めて自分のやりたいことリストを広げないようにしています。

それに反する意味でも、今回のズーニーさんの言葉は、その点に対して、気づきがありました。

やれないといけないことを、「やらないことリスト」にしてないかなぁ・・と。

現在、山田ズーニーさんはこちらのPodcastも配信されているようです。

おとなの進路教室

特効薬ではありません、でも、自分の考えを引き出すのによく効きます

↑この趣旨、いいですね。