オリンピック最終聖火ランナー

本日、NHKをつけたら「映像の世紀」という番組が流れていて、テレビに釘付けになってしまいました。

映像の世紀「東京 夢と幻想の1964年」

https://www.nhk.or.jp/special/eizo/

1964年の東京オリンピックにまつわるエピソードが、ところどころカラー映像も織り交ぜながら放送されていました。

印象的だったのは、当時のマラソンは給水のときに立ち止まってドリンクを補給していました。当時マラソンで優勝したアベベ選手がドリンクを補給しているシーンが流れていましたが。トップの選手が立ち止まって2,3のカップに手をつけていましたので、試飲会のような不思議な光景でした。沿道に限らず家の屋根まで人がいっぱいになっている様子は、東京オリンピックがいかに巨大なイベントだったのか想像できますね。

番組のなかで、1964年時の東京オリンピックの最終聖火ランナーだった「坂井 義則」さんが紹介されていました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E4%BA%95%E7%BE%A9%E5%89%87

坂井は広島市原子爆弾が投下された1時間半後に、現在の広島県三次市(当時は双三郡三次町)にて出生した。

東京オリンピックの400mと1600mリレーで強化選手に指名されたが代表選考会で敗退、失意の底にあった。その矢先、組織委員会は他の選手に決まっていた[要出典]聖火最終ランナーの地位を「広島への原爆投下の日」という象徴的な日に生まれた坂井に託した。開会式当日、国立霞ヶ丘競技場千駄ヶ谷門で前の区間を走った鈴木久美江(当時中学3年生)から聖火を受け取り、トラックを半周したあと聖火台までの階段を昇った。10万713人目のランナーであった。

Wikipedia より抜粋

NHKの朝ドラ「いだてん」でも取り上げられたことがあるようですね。私はこの朝ドラを知りませんでしたので、遅れて感動しておりました。

1964年の東京オリンピックは戦争が終わって19−20年後の出来事なんですね。焼け野原に競技場ができたり、そりゃびっくりしますね。

今から20年前って、ミレニアムで騒いでいた頃ですので、パソコンの大きさが変わって、スマホが当たり前になった、ってことが大きいのでしょうか。

私は当時は大学生で就職活動まっさかりという時代でした。卒業してから働いていましたが、「このままでは私は一生景気のいい時代を経験しまいまま終わるのかも」という気持ちから途上国に目がいくようになり、「フラット化する世界」の冒頭で、インド・バンガロールアメリカとの中間地点として活用されているという例を読んで、なんとなく「インドにいきたいな、インドなら経済の中心地のムンバイがいいね」と思っていたところに、就職が決まりました。

そのインドの仕事を辞めてからはもうインドには戻るまいと思っていましたが、やり残したことがあると思いまたまたインドで働くことを決意しました。2016年のことです。2016年当時の日本は「おもてなし」や競技場設立の話などいつもオリンピックの話があがっていました。なので、2016年に自分がインドで働くときのテーマは「1964年に東京オリンピックを迎えた日本人の高度経済成長の盛り上がりを、2016年からのインドで体現する」でした。

それが体現できたのかどうか、今回のオリンピックを見ながら考えます。

今年のオリンピックの最終聖火ランナーはどなたなんでしょうね。オリンピックの意味を象徴する方だろうと思うので気にはなるんですが、最近のオリンピックの選考の状況をみていると、そこまで象徴するような方ではないのかな、なんて思っちゃいます。

映像の世紀」という番組、かなり面白そうですね。テレビ見ること否定的な人が増えてますが、いい番組はいいですよ。

https://www.nhk.or.jp/special/eizo/feature