記録の意味

「いろんなところにコメント残すのはもったいない」という「ちきりんさん」の音声配信を聞いて。

2021/5/12 #218 ネット人格の形成マジ重要

ずーっとずーっと、「またブログを再開したい」と思っていて、新しいブログのタイトルは考えて、サクッと新しいブログの開設はこれまで何度かしてきたのですが、続けることができませんでした。

今年3月に仕事を辞めて、仕事をしていた時間がすべてフリーになるので書く時間たっぷり!と思いましたが、そもそも書くことに対する優先順位が低くて、どーにかこうにかTwitterを少しずつ更新できる程度。

自分の意見を集大成させる場が必要と思って新しいものを作ろうとはしましたが続きません。

ブログを続けていたときに実行していた「走ること」が引き金になって、いまはブログを再開できております。

これはまるで、プルーストの『失われた時を求めて』の「紅茶とマドレーヌ」 のシーンを思い起こさせる出来事だな、と感じておます。

プルースト失われた時を求めてWikipediaより

物語は、ある日語り手が一さじ掬った紅茶に混ざった一片のプチット・マドレーヌを口にしたのをきっかけに、その味覚から幼少期に家族そろって夏の休暇を過ごした田舎町コンブレーの全体の記憶が鮮やかに蘇ってくる、という「無意志的記憶」の感覚を契機に展開していく

千と千尋の神隠し』の映画のシーンでもありましたが、「一度あったことって忘れない」んですね

千尋

こちらから拝借

なので、「誰かのためにお役に立ちたい」という投稿より、引き続き自分の記録にしていきます。公開処刑の場とも言うかもしれませんね。

10年以上前に更新していたときも自分の記録を記載していたのですが、紙の日記と違ってすぐに見返すことができるのがよいです。私自身は1年に1,2度ぐらいは、特定の記事を見返したりしていました。

ブログよりは、Instagram、TicTok、の時代で、さらにいまは記事を書くならnote 、wordpress が主流ですが、そうでないのも自分らしいかなと。

ついでに、2005年8月からブログを更新している知り合いのしきち アジア生活のブログが更新され続けているのも励みになりました。

というわけで、続けていることが誰かに影響を与える、ということをまずはこのブログを書き続けることから

Youtubeであちこちコメント残すのももったいない。

思えば、私も時々(自分にとって)いいコメント言ってた!

自分フィールドがあるって心強い。

「できない」って言ってることもできるようになっていくんですよね