ミヒャエル・エンデの『モモ』を読みました。

すでに読んだかたも、

まだ読んでいない方も、

時間のあるゴールデンウィークにぜひ手にとってみてください。

さしずめ、

ジジが 私

モモがくまちゃん

カシオペイア がこちらの亀といったところでしょうか。

(以下、マイスター・ホラ=亀で)

画像 116

masa は最近、いつも『できない、できない』っていってるね」

「時間が足りないって」

「目標設定が間違ってるのかな?」

「かめさん、どうしたらいいと思う?」

画像 115

「”ひとりひとりがそれぞれの自分の時間を持っている。そしてこの時間はほんとうにじぶんのものであるあいだだけ、生きた時間でいられるのだよ”」(『モモ』より抜粋)

masa は自分の時間を生きてるの?」

「”光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのとおなじに、人間には時間を感じとるために心というものがある。そして、もしその心が時間を感じ取らないようなときには、その時間はないもおなじだ”。masa にはその心はあるかな?」(『モモ』より抜粋)

masa、 気になる人がいるみたいだから、、、きっと『時間の花』ももってるんじゃないかな」

「楽しいと思うこと、むちゅうになれること、夢見ること・・・それならあるよ!」

画像 120

「"あの音楽はとってもとおくから聞こえてきたけど、でもあたしの心の中のふかいところでひびき合ったもの。時間っていうのも、やっぱりそういうものかもしれない"」(『モモ』より抜粋)

「なんかよくわかんない・・・」

「”それを話すためには、まずお前の中でことばが熟さなくてはいけないからだ”」(『モモ』より抜粋)

「”待つこともできなくてはいけないね”」

「”ことばがお前の中で熟しきるまでには、それくらい長いときが必要なのだよ。それだけ待てるかね!”」(『モモ』より抜粋)

「ねぇ、それってmasaが最近言ってた『誰かの心に種を植える』ってこととつながる ?」

「そうだね。つながる気がする」

masa 、待てるの?」

masa はただ待つことはできない。だから、今自分にできることをするよ」

「ふーん」