走ることと書くこと

いまは父の本棚にハードカバーの本があるので、電子書籍版を入手してみました。

村上春樹さんの「走ることについて語るときに僕の語ること」

私は以前は走ることをメインにブログを書いていましたが、いまは書くことがメインでランニングは日常のルーティーンになってきているので、読んでいても目にとまる箇所が違っていました。

妙な話だけれど、人前で話すということに限っていえば、日本語でやる よりは(いまだにかなり不自由な) 英語でやる方がむしろ気楽なのだ。それはたぶん、日本語 で何かまとまったことを話そうとすると、自分が言葉の海に呑み込まれてしまったような感覚 に襲われるからだろう。そこには無限の選択肢があり、無限の可能性がある。僕は文筆家とし てあまりにもぴったりと日本語に密着してしまっている。だから日本語で不特定多数の人々に 向かって話をしようとすると、その豊饒な言葉の海の中で戸惑い、フラストレーションが高まる。

前にも書いたが、職業的にものを書く人間の多くがおそらくそうであるように、僕は書きながらものを考える。 考えたことを文章にするのではなく、文章を作りながらものを考える。 書 くという作業を通して思考を形成していく。 書き直すことによって、思案を深めていく。しか どれだけ文章を連ねても結論が出ない、どれだけ書き直しても目的地に到達できない、とい うことはもちろんある。たとえば 今がそうだ。そういうときにはただ仮説をいくつか提出 するしかない。あるいは疑問そのものを次々にパラフレーズしていくしかない。あるいはその 疑問の持つ構造を、何かほかのものに構造的に類比してしまうか。

現在私がブログを書いているスタイルが、↑の太字部分のままなので、とても納得しました。「職業的にものを書く人間」か、いいですね。

いまは身体に痛みを感じるほどスピードを出して走っていないので、レースに出るということは考えていませんがそのうち私の気も変わるでしょうか。が、空気がいいところ、というのが第一条件です。

私がよく走っていた2008−2011あたりは、ランナーの方は皆さん村上春樹さんのこの本と、三浦しをんさんの「風が強く吹いている」を読んでいるのが定番でした。

走ることと、書くことで私のことを思い出してくださった方がいて、「走るときについて語るときに〜」改めて手にとりましたが、いつまでも色褪せない本っていいですね。

私は、ちきりんさんがVoicyで、「ロングセラーになる本を書きたいよね」とおっしゃっていたのを思い出しましたよ。