スイカ畑と祖父

最近走っているコースはほとんど同じになってきましたが、住宅街の横道をちょっとずつかえています。

住宅街といっても、そこそこ畑があったりして、のどかなところです。ある一角に結構な数のスイカが畑に転がってるんですね。カブトムシよりスイカが好き、を自称している私からすると気になって仕方ない畑です。

インドにいたときは、日本でバナナを買うように手が出せるスイカでしたが、日本だとちょっと高いですよね。それに我が家のアパートは一人暮らし向けの冷蔵庫サイズなため、丸ごとスイカを買ったら保存できません。切り分けたスイカですら保存は難しいサイズの冷蔵庫です。

↓これくらいのサイズです。

子供の頃からスイカが好きで、母方の祖父・祖母が私のためにスイカを毎年作ってくれていました。私の妹たち向けにはメロン、母親にとうもろこし、という具合に。スイカ、メロンは自分で買うもの、という認識がなかったので、自分が一人暮らしをするようになって、いざスイカを食べようと思ったら手が出せないお値段でした。メロンは最高級品ですね。

祖父は地元の頑固オヤジでした。私がお盆のときなどに顔を出しにいくと「早く嫁にいけ」というのを小学生の頃から言われていたような気がします。私が実際にお嫁に行ったのは40過ぎてからです。

その祖父が亡くなったときには、私はインドで働いていまして葬式には顔を出すことができませんでした。でもいいんです。その祖父は、祖母(祖父の妻)が亡くなったときには、「オレは葬式には顔を出さねぇ」と言って出てきませんでした。そういう方なので、葬式に出なかったことを恨むような人ではないと思ってます。

祖父が亡くなる3,4ヶ月ぐらい前に、私が一時帰国したときに病院へお見舞いに行きました。其のときにはすでに半年ぐらい病床生活を送っていました。私と私の母と妹でお見舞いに行ったところ、やせ細って色白の爺さんになっていました。それは子どもに返るような姿でもあり、衝撃でした。

ベッドの台をあげて、祖父がベッドに座ったような状態にしてみました。すると、祖父は右腕を震わせながら口元にもっていく仕草をしました。その仕草がよく理解できなかったのですが、酒好き、タバコ好きの祖父だったので、恐らく「タバコ吸わせろ」「酒飲ませろ」という仕草だったんだと思います。腕が動かせないような状況でその仕草を一生懸命にするってすごいですよね。ちょっと呆れてしまいますが、最後までそういう爺さんでした。

祖父のことは苦手だったのですが、スイカを見ると祖父を思い出すんですよね。お盆の頃には、お参りに行ってきます。

走っているときに見えるスイカたちが今日から新聞紙で覆われていて、そろそろ収穫の時期なのかな〜と見ています。今度スイカ小さいのでいいから買ってこようかな。

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