2021/8/14 「フードバンクという挑戦」

東京オリンピックのボランティアさん用のお弁当が大量に廃棄されているというニュースを受けて。

「フードバンクという挑戦」

お弁当廃棄のニュースの頃に、出版社の方のツイッターでみつけた本。この手の本はいつか読もうと思っていました。

日本だと規格が厳しくて、野菜も揃ったカタチをしています。

「梱包する箱が少しヨレっとなっているだけで、日本では即、返品です。缶詰だから中身にはまったく影響がないんですよ。 (略)」

学生時代に品出しのアルバイトをしていたので、心当たりがありますが、中身が漏れているわけでもないのに、梱包が悪いと安く売られていたりしますよね。(私はそういう商品を購入するのが好きだったりするんですが)

フードバンクについて調べたところ、今は日本の至るところにあるようで、私が現在住んでいる家の近くにもフードバンクがありました。

フードバンク、というのは、企業が不良品としてお客様に販売できないけれども、商品としては問題ないものを集めて、食事が必要な団体に寄付している団体です。

アメリカはこの点について、かなり制度が進んでいるようです。

寄付者をまもる法律もある。1996年にできたビル・エマーソン食料寄付法だ。もともと各州ごとにあった「よきサマリア人法」を連邦レベルで統一したもので、善意で寄付した食品が原因で万一、なんらかのトラブルが起きたとしても、故意や重大な過失によるものでない限り、寄付した人は民事・刑事責任に問われない、という法律だ。じっさいの法廷で適用されたことはないそうだが、フードバンク活動には心強い支えになっている。

 さらに、企業は課税所得の10%、現物寄付の場合は原価の二倍を上限に税金控除が受けられる。企業にとっても、食品を廃棄するより、寄付をしたほうが得をする仕組みになっているのだ。

「なかにはあちこちのパントリーを渡り歩く人もいて、パントリー・ホッピングなどということばもあるんです。よこしまな考えをもった人もいるかもしれません。でも、ほんのひと握りのそうした人たちのために、ほんとうに必要としている多くの人を見失ってはいけない、と私たちは考えています」

チャールズさん、という日本でフードバンクを始めた「セカンドハーベスト・ジャパン」の方の話が面白かったです。チャールズさん(の家族)の人生が自由で、彼が食べ物はシェアする、という考えを自然にもっているのがわかります。

セカンドハーベスト・ジャパン

高校時代にチャールズさんが、薬物依存になったときに支えてくれたボブさんという人について、

ボブは「ああしなさい、こうしなさい」と指示することもいっさいしなかった。

「こんがらがった糸を、ほら、こうしてほどけばいいんだよ、とやってみせるような人は、自分がいかに賢いかを示したいだけなんじゃないかな」とチャールズさんは思う。心のなかでからまった糸をほどけるのは結局は本人だけなのだ。ボブはだれよりもそのことを知っていた。

「優秀は山のガイドはあそこを見なさい、こっちを見て、なんていちいち言わない。でも、歩き終わって、あれ、今日は山がいつもとまったく違って見えだぞ、なんでだろう?って思える。ボブはぼくの人生の、そんなガイドだった」

貧困。飢餓。戦争。自然災害。人身売買。児童虐待。・・・・・・。世界中で起きているさまざまな問題を前にすると、私たちはつい無力感に襲われてしまう。(略)なにもできないのではないか。そんな自分をうしろめたく思ったり、責任を感じて申し訳なく感じたりしてしまうことがある。

(略)

起きている問題に対して、私達はいちいち責任を感じる必要はない、と。

では、どうすればいいのだろう。

チャールズさんは「Responsible」ではなく「Response」、つまりその問題にどう「反応」し「こたえる」か、ということのほうが重要だという。

ボランティア=「自己犠牲」、「格好つけている」という風潮について

「日本人はボランティアをするにもまず講習を受けて、資格を取ってから、などど考えがちです」

ある美術館では、段順にボランティアを募集しても人が集まらないので、「わざと格式張った肩書をつくり、有料講座を受講を募った」すると、約200人が学芸員として登録してくれたそうだ

私は日頃食料を無駄にすることは殆どありません。これまでスーパーで「見切り品」として売られている商品を購入することにやや抵抗感がありましたが、無駄を減らしているのだ、という気持ちで堂々と購入したいですね。

チャールズさんは宣教師のトレーニングを受けるためにオーストラリアとインドに渡り、そのときに下記の本を読んだそうです。

「自分はサンタクロースや社会保障神の摂理などであろうとしているのではなく、たんに、貧しい者たちのなかのひとりの貧しい者でいたかった」というカルカッタで働く神父のことばから、野宿者のために活動したいなら、そこで彼らと暮らしてみなさい、という”声”をチャールズさんは聞いたのだそうです。

まさか、ご冗談を。声を打ち消そうとひたすら祈った。だが、次の日も、また次の日も、同じ声が聞こえる。1996年12月、インドから日本に戻った。そして年が明けた97年1月、隅田川に向かったのだ。

マザーテレサも神の声を聞いて、カルカッタでの活動を始めたといいます。「声が聞こえた」という体験をいつか自分もしたいと思いつつ、「歓喜の街カルカッタ」を読みたい本リストに入れました。絶版なので図書館で予約します。