2021/8/5 「ジャコメッティ」

哲学者と彫刻家の対話。

矢内原伊作 「ジャコメッティ

矢内原伊作について<Wikipediaより>

矢内原忠雄の長男として愛媛県に生まれる

1942年海軍予備学生。

復員後サルトルカミュに惹かれ、本格的に実存主義の立場で哲学を研究。また造形芸術に関心が深く、渡仏し彫刻家ジャコメッティと深い親交を持ち、多くの肖像画や胸像が製作されている。1948年宇佐見英治らとともに文芸誌『同時代』を創刊し[1]、ジャコメッティのアトリエでの対話をはじめとする数々のエッセイを発表する。1969年、『ジャコメッティとともに』で毎日出版文化賞受賞。

彫刻は人間を骨まで削ぎ落としたような細い彫刻が特徴的です。

ジャコメッティがつくる人物像はなぜあんなに細いのか?」

https://hillslife.jp/art/2017/07/04/alberto-giacometti/

みすず書房さんから出されている本は、矢内原氏がジャコメッティの彫刻、

人物画のモデルをしていた頃の記憶です。

ジャコメッティがどのように作品に取り組んでいるのかがわかります。

書籍からの抜粋。太字は私がつけたものです。

今日と明日は記憶で試み、明後日デッサンをしてみよう、記憶で研究してみなければ写生はできないのだから

「ポーズする時は動いてはいけないんですか」とぼくは訊ねた。「いけない」とジャコメッティ「ほんの少 しでも?」「そうだ、ほんの少し動いてもいけない。」「話をしてる?」「いけない。」「呼吸しても?」「いけ ない。」ぼくらは笑い出した。 彼のためにポーズすることになれているアネットがぼくを安心させるために 言う。「大丈夫、少しくらいは動いてもいいのよ、勿論口を動かして話をしてもいいし…」

この間にもジャコメッティは鉛筆を動かしながらぼくの顔を見つめ、おまけに右に向けとか左に向けとか 言うので、ぼくはカフェの中で何度も坐り直さなければならないのだった。

「とてもいい、とてもよく似ている」と言う。確かにそれはよく似ていたが、同時に、小さな顔 のデッサンがはらんでいる空間の大きさがぼくを驚かせた。「人間の顔がこんなふうに見えるのは初めてだ。 確かに自分には見えている、しかし、それに達するにはどうしたらいいかわからない。ともかくもう一度や ってみよう。」そういってすぐ彼は再び描き始めた。奥さんが、「退屈でしょうから音楽をかけましょうか」 という。彼女は古典音楽の熱烈な愛好者で、蓄音器はこの部屋の唯一の文化的器具だ。 「最近ローエングリ レコードを買ったから。」そう言って彼女はレコードをかけた。ぼくは音楽をきくと首をふる癖が あるので、なるべく音楽をきかないように努力しなければならなかった。というよりも、身動きをしないよ うに緊張していると音楽はほとんどきこえないのだった。ジャコメッティの仕事は、しだいに熱を帯びてく る。そうしてぼくの顔を描き続け、突然彼は「見えない」と大声で言う。 もう薄暗かったが、彼は電灯をつ けないで仕事をしていたのだった。 「電灯をつけたら」と言う奥さんにジャコメッティは怒ったような声で、 「いや光のせいではない、自分にはよく見える、見えるがそこに達しないのだ。見えないのはヤナイハラで はない、ヤナイハラをとらえる方法だ。」 それからまたしばらく仕事を続けたあとで、「美しい、すばらしく美しい。」「ワグナーが?」と訊く奥さんにジャコメッティは少しおどけた調子で、「ヤナ・イ・ハラ」 と一言ずつ切って答えた。ぼくはこんなふうに言われるのはむろん初めてだから、なんとも妙な気持だが、 ひたすら無念無想を念じ、表情を少しも変えないように努めた。

「ゆうべは記憶で仕事をしなかったのですか」ときくと、「朝方まで別のタブローで研究した。写生から記 憶に行き、記憶からまた写生に戻る、こういうふうに仕事をすることが必要だ。記憶で正しく描けるように なってはじめて写生も正しくできるようになる。しかし、この二つは別々のタブローでしなければならな い」という答えで、ぼくは安心した。 さもないと彼は昼に描いたところを夜にこわすことになるだろう。いつもそうだが、この日も彼の筆は初めのうち調子よく動いた。「いよいよ始まる」と彼は言う。「もしもきょ 仕上げなければならないなどということになったら、けっして正しい仕事はできないだろう。仕上げよう などという気持で仕事をすれば、それこそすべてがむだになる。」「あと十日も続ければそうとう進むでしょ うね」と言うと、「もちろんだ。それに、進む度合は同じではない、進歩は加速度的だ。きょうはきのうの あすはきょうの四倍、あさってはあすの八倍というふうに進む、それが進歩というものだ。きのうまで 一週間でした以上の進歩がきょう一日でできるにちがいない。」

仕事はますます困難になる。「駄目だ、筆がうまく動かない。」「これは絶対に不可能だ。不条理な試み だ。」「自分には才能がない、それ以上に勇気がない、才能がなくてももう少しの勇気があればいいのだが。」 「すべてが嘘だ、全部消して始めからやり直さなければならない。ああ何も彼もが失われる。」「もうどうし ていいかわからない、畜生!」「ともかく続けなければならない。絶対に放棄してはならない。」

「伝統はなぜ滅んだか、自然が消滅したからだ。自然はなぜ消滅したか、超自然が消滅したからだ。 ところで現代でも生きている超自然が一つだけある、それは死だ。死者の追憶、死の意識、この中でだけ現 代人は超自然につながることができる。」

ジャコメッティは次のように言った。 「一般に肯定よりも否定のほうが確実だ。生よりも死のほうが確実 だ。生きていないということは確かだが、生きているということは疑わしい。だからあのような風景画を描 く伝統が現代にはもはやないということは確実だが、われわれに何があるかということは不確実なのだ。何 が伝統でないかを言うことはできる、しかし何が伝統であるかを言うことは非常にむずかしい。

「その点にわれわれ日本人の問題もあるのです」とぼくは口をはさんだ。「日本にくらべればヨーロッパで はまだ伝統が生きている。今の日本は伝統から完全に切り離され、怖ろしいほどの勢いで現代化の一路を辿 っています。例えば、画家は浮世絵から学ばずヨーロッパの新しい傾向を模倣するのに忙しい、文学でも哲 学でも事情は同じです。しかし伝統のないところにどうして創造があり得るでしょうか。われわれ日本人は もっと日本的なものの伝統を重んじなければならないと思います。けれどもその伝統が何であるかを積極 な形で言うことはできません。」「日本人はいかにヨーロッパのものを模倣しても日本的なものしか作れな のではないか、われわれヨーロッパ人がいかに日本的なものを模倣してもヨーロッパ的なものしか作れない ように」とジュネが言うのに対してジャコメッティは、「真に偉大な作品にあっては、東洋的とか西欧的と かということは問題にならない。 レンプラントの風景画と中国の古い風景画とは極めてよく似通っているで はないか。 レンプラントとピカソは共に西欧的かもしれないが、この二人の距離よりはレンプラントと北斎の距離のほうが遥かに近いのだ。」

「眼に見えるものを見えるとおりに描くというこの試みは全く不条理な仕事だ、どうしても不可能だ。」「ウ イ・・・・」「放棄すべきではなかろうか。」「ウイ…」「自分は気が狂っているのではないだろうか、この仕事 を続けるとは。」「ウイ…..…」何を言ってもなま返事ばかりしているぼくに対しては彼はとうとう怒り出す。 「きみは平然とウイと言うが、本当にそう思うのか。私は気違いで、この仕事は放棄すべきだと。」「とんで もない」とぼくは急いで彼の気持を鎮めなければならない。「放棄してはいけません、不条理と見えるこの 仕事以外に試みるに値する何がありますか。セザンヌはヴォラールを百二十回描いたが、その肖像を完成で きなかった。あなたが私の顔を描き始めてからまだ一月もたっていません、満足のできる結果に達しないの はむしろ当然ではありませんか。」

「顔を描いてはならない、顔は画面の上で生まれるのでなければならない。つまりそこにあるものとしてではなく、逆に無いものとして、見られることによってはじめて生まれでるものとして描かれなければならない」と彼はよく言った。だがどうしたら虚無が描けるのか。「消すこと、内部に向かってどこまでも消して行くこと、そして何が残るかを見よう。結局何も残らないかもしれない。畜生!」

自分が作品に向かうときには参考にしたいです。

書籍の値段がちょっと高くて図書館で借りました。

美術館で考えながら鑑賞したいな・・・。