先日昔の投稿をあげたあと、たまたま「チューニング」という言葉に自分がひっかかって、山田ズーニーさんの投稿をじっくり読みました。
「楽しい」をレッスンしてこなかった自分へ
https://www.1101.com/essay/2021-06-09.html
夢中でやってると楽しいのに、
人の反応に囚われだすと苦痛になる。
読者の方から、Twitterを始めて最初は「書きたい楽しみ」があったのに、「読んでもらえる楽しみ」に引きずられてる、というお便りがありました。
「気持ちが良いなと
感じられるように調整して行うこと。」
なんか、最近同じようなこと言ってた経済評論家の方がいらっしゃったなー、と。
さらに、運動で目覚めた
「楽しいを希求する本能」みたいなものが、
確実に、生活に革命を起こしているのを感じる。
日常の他のことにも、仕事にも、
一見辛そうなことにさえ、
「楽しい」を見つけるアンテナがピピピッ!と
反応するようになった。
「楽しいを求めていい」
楽しいをレッスンしてこなかった自分へ、
まずはそう言い聞かせ、
チューニングし続けることが大切、と私は思う。
私も走るの再開して同じような気持ちになりました。事象としては同じことが自分のなかに起こっているのですが、それをこんな文章にできるの素敵だな。
続きの話はこちらをどうぞ↓。
「ほどほどに」ができなかった、あの頃の私へ
https://www.1101.com/essay/2021-07-28.html
自分ができる方法で続ける、ということは、勝間和代さんもVoicyやYoutubeでおっしゃっていました。
自分ができる方法って一回できたらそれで終わりじゃないんですよね。同じ人間でも年は取るし、ちょっとずつ変化していく必要性を感じています。
日々精進ですね。
私にとって、このブログを投稿することは「書きたい楽しみ」ゆえに続いています。「読まれる楽しみ」が味わえるほどには、届いてないもんで。どちらかというと、「吐き出したい欲求」が強いかもしれません。