2021/7/24 東京オリンピックについて語るときに私の語ること

こちらでもちょっと書いたのですが、 最近初めての人と話す機会が増えていて「なぜインドで働くことを決めたのか」という質問をされることが多いので、書きながら考えたいと思います。

私が社会人として世に出たのは、2003年のことです。当時は就職活動がうまくいかずに、卒業してから夏頃に「中途採用」として当時の仕事につきました。

それから数年して転職しました。リーマンショックにより景気が悪くなりボーナスがほとんどでない、という年もありました。「いつか海外で働きたい」という希望はもちつつ、其の会社のポジションでは海外にいくチャンスは全くないことはわかっていました。自己啓発として英語の勉強やビジネス書を読むようになりました。

「景気が悪い」「失われた10年」という状況で生きていましたので、次第に「景気のいい国で働きたい」という気持ちが強くなりました。アメリカなどの先進国にも興味がありましたが、当時私が興味があったのは、「BOPビジネス」「リバース・イノベーション」と言われる、途上国から先進国へ輸入する価値、という点でした。

2010-04-27 BOPビジネスとはなんぞや 

http://staygold21.blog.fc2.com/blog-entry-1402.html

2010-05-30 「ネクストマーケット」

http://staygold21.blog.fc2.com/blog-entry-1447.html

2011-06-01  新しい経済と社会は大不況から生まれる『グレート・リセット

http://staygold21.blog.fc2.com/blog-entry-1715.html

東北大震災が起こったのをきっかけに、「いつか」じゃなくて「今」、となり、ご縁があって仕事をいただいた会社で働きました。其の仕事を辞めて、2度目のインド就労のときには、「1964年の東京オリンピックで高度経済成長だった日本人の心意気をインドで体現する」というのが意気込みでした。2020年だろうと2021年だろうと、日本にいることは自分にとって経済が上り調子のところにいる、という感覚は少なかったのです。

なので「東京オリンピック」と聞くと、2016年にインドに再就労を決めたときの自分の気持ちが湧き上がってきます。そして、「後悔」という気持ちも少し。

2016年からのインド暮らしは、電気コンロ、電気ケトル、電灯を除き、白物家電のない生活をしていたので、1964年前後に日本がテレビや家電を少しずつ手に入れていった状況ってこんな感じかな、と考えながら生活していました。(私はその後も白物家電は手に入れずに生活したんですが・・)

家具も買わず、隣に住んでいた大家さんのご家族が譲ってくれた棚↓ 直にものを置いてしまうと、蛇口が破裂して床に水があふれる可能性があるため、地べたには置かずにこの棚に置くように、と言われました。

壁が水色とピンク、というドギツイ配色になっていますが、これは私が入居するときに大家さんがご厚意で新たに塗ってくれたものです。入居する前はクリーム色でした。

 Mumbai room

何もないキッチン。退去時に撮った写真なので。キッチン用品はほぼ私の前任者の方がインドを去るときにいただいたものを使っていました。超もたない生活・買わない生活。

薄暗い写真になっていますが、明かりの弱い電灯をつかっていたからですね。確かにアパートでの生活はなんとなく灰色がかった思い出です。

Mumbai room 2

昨日、大学3,4年生の方たちとZoomをする機会があり、自分の大学時代、就職活動時代を振り返ったりしながら、「なぜインド」に対してうまく答えられなかったと感じたので、その後もしばらく考えています。

「なぜインド」はまだうまく返事できないですが、「なぜ日本じゃないのか」については答えられます。それは「日本語じゃない国だから」です。言葉がうまく通じないことは生活や仕事をするうえでは苦労が伴いますが、必要のない情報にふれることがないので気楽に生きられるのです。其の意味で、言語の壁は私にとっては、不要な情報を遮断する道具として成り立っています。

オリンピックのこと書いてなくて恐縮ですが、私のような全くオリンピックに関わっていない人ですら、ひとつの節目となる機会なので、いわんや関係者をや、です。