母はなんでも知っている

現在住んでいる場所は、スーパーまで自転車で10〜30分ぐらいです。最近は母が我が家まで車で迎えに来てくれて、週に1,2度、一緒に買い物に行ってます。

スーパーに着いてから、お互い別々のかごを持って買い物をする、というのはちょっとした違和感です。

私は中学を出てからは、母と買い物をすることは減りましたが、たまに実家に帰ってきて一緒に買い物にいくと、母のカゴに自分のほしいものを入れる、ということをしていました。

お互い自由に買い物をしていますが、スーパーのなかですれ違うと、お互いのカゴをチェックしてよさげなものがあったら、マネして買ったりしています。

昔は親と仲良くない時期もありましたが、結婚した、というのが親に安心を与えたのか、親からなにか突っ込まれたりすることもなく、穏やかにしています。

今週は月曜に一緒に買い物に行きましたが、そのとき私はゼミの発表の準備で寝不足でした。

母から「今日はなんか疲れているんじゃない?」と言われて、母は分かってるんだな〜と、なんだかホッとしました。

普通に喋ってるつもりだったんですが、いつもより無口だったりしたんでしょうね。

そのエピソードを主人に伝えたところ、「お母さんなんでも分かってすごいね」ってことだったんですが、主人も少し私のことをよく見ておかないと、と思ったのか、その後は私への観察が細かくなった気がします。

また、私の両親はあまり子供のことに干渉しなかった、と思って私自身は思っていたのですが、主人から私の両親に対するコメントを聞いていると、「私の親って大事に育ててたんだな・・」という気づきをもらうこともあります。

最近、哲学のゼミつながりで、「子供の哲学」という本を図書館で借りてみたのですが、ちょっとざっくり見たところ私の興味の範囲と違うな、と思ったので返却しようと思っていましたが、今回のエピソードからいくつか気になる章があったので、もう少し読んでみようと考えました。多分、その後レヴィナスあたりを読んでいるんじゃないかな、と思いつつ・・

序章:子供/妊娠の哲学のために

第1章 私と身体をめぐる伝統的議論

第2章 生命としての私へ

第3章 西田幾多朗の他者論と生殖論 

第4章 レヴィナスの他者論と生殖論

第5章 私であることと「いのち」の遺伝

第6章 子供とは誰のことか 「自分の子供」概念の脱構築