「貧困」をめぐる私の問題

インドへきて二ケ月が過ぎようとしています。

これまで月に20-30冊の本を読みながら、モチベーションをあげるための労力は仕事を始める前ではなく、仕事をしている間に感じるものだという自分への問いかけの日々。そのうち「途上国」でもあり、あと5,6年のうちに「世界一」の人口に達するインドにたどりつきました。

自分が生きているうちには解決できない問題に取り組みたいと思ってここまできたわけですが、「貧困」という言葉に違和感をもつようになりました。

今週、ストリートの子供たちを集めて一緒の時間をすごしたり、トタンでできた家にすむ家におじゃましたり、屋根もない家にいってみたりしました。みんな楽しそうで、笑顔だし、お金をせがまれることもありません。渡航前まではあれこれ欲しいといってくるのかと思っていましたが、彼らは自分の生活を嘆くこともなく、楽しそうです。

一方、日本にいたころの私は、精神的不安や金銭的不満ばかりの会話を毎日繰り返していました。周囲の同じ声を聞くこともしょっちゅうでした。この文章を読んでいるあなたにも思い当たる点があるのではないでしょうか。

今は、不安や不満こそが、我々が精神的にも金銭的にも余裕のある生活の中にいる人がもつ感情だ、と主張したいです。将来への不安も、現状への不満も、自分の中でもっと才能やチャンスが得られれば、変えられるという可能性の中にあるからこそ得られる感情のように思うようになりました。「欲望こそが人間に与えられた唯一の感情である」って偉大な哲学者がいってましたね。

結局、インドへきてまだなにも起こせていない自分にいらだちながらも、「貧困」でくくられる人たちに何かしてあげたいとった使命感はなくなりました。その代り、社会に認められるには何かを起こさなければならない、それも困難そうに見えるなにかを、という自分の中の欲望と不安に気づきました。

しかし、一方でその気づきこそが、私がこの地で何かを始める大きな手掛かりを得ているのではないかと感じています。自分自身を取り戻し、認められることを期待するのではなく、彼らに寄り添っていく何かを。与えるのではなく、生み出していく力を。自分の不満や欲望に素直になって生きていく力を、この地で生きている人からもらっているように感じています。

いまはまだ、何も。でも、きっと、、このまま日本へは帰りませんから!