フランクリンプランナー手帳には毎日ひとつ格言が紹介されています。
どうやらその格言は毎年つかいまわしされていることを、
8月4日の格言をみて気づきました。
「私の生きざまは、私のメッセージである」マハトマガンジー
2010年8月4日のツイート⇒ 8月4日の記録
このメッセージは自分にとって別の意味があります。
当時、私は足立区の綾瀬に住んでいたのですが、そこに住んでいるというとたいていの人に「治安悪いですよね~」といわれます。その度に腹を立てていました。
駅から東京武道館へ向かう道に咲く桜はきれいですし、駅前は結構にぎわっています。私は東京武道館の地下にあるスポーツジムに通っていました。今年の3月には震災で避難してきた人たちを受け入れていましたよね。
しかし、当時マクドナルドで手帳の振り返りなどをしていたら若い人の怒鳴り声がきこえてきたり、数日前には駅で倒れた人がいたのに誰も見向きもしない状況にびっくりしていました(でも、これは都会ではよくあることなんですよね。当時はそのような判断ができていませんでした)
で、よく言われていた、
「あー、あのコンクリート事件があったところね」
という言葉を思いだし、ネットで調べていたところ、
自分が住んでいるかなり近い場所で起きていた事件なんだと知り、
それから怖くなって一気に引っ越しを決めました。(会社&予備校に近いところ)
引っ越ししたことに後悔はまったくしていません。
今住んでいるところはとても好きです。
以前住んでいたところも、好きです。いやな思いはしたことがありません。
きっかけが前向きなものでも、そうでなくても、
何かを変えるきっかけというのはいろんなところにあるものですね。
というのを、冒頭のガンジーの言葉で思い出しました。
一年前引っ越しした時の記録⇒ 自分を変えるのは時間がかかる、だから住む場所を変えました!!
先週は週の前半に大学時代の恩師にインド行きを祝っていただき、学問や日本の大学がグローバル化から遅れをとっていることを話し(偉そうに)、友達のバレエの発表会へ向かうも終わってから会場につくという有様、そしてバングラディッシュで貧困をなくすためのビジネス展開をしているIDEEの話を聴きにいくなど、帰りが遅い毎日でした。案の定、翌日には耳が痛くなるほどのどを腫らしてしまい、現在も薬を飲みながら比較的安静に過ごしています。(内科の先生もびっくりの腫れ具合なのです)
もう8月も終わりの気分ですが、
まだまだ張り切っていこうと思います。
さて、8月の週の取り組みについてちょっと。
1、ランニング→ 200キロ目標。
⇒前半時間との兼ね合いで、後半は体調との兼ね合いで走らず。
まだ2,3日は休みが必要と感じています。
(気合いで乗り切れなくて・・)
2、ストレッチ→なにか毎日300回続けられる習慣をつくる
⇒腹筋を毎日50回はやりました!
回数を増やすことと、続けることを目標にします。
3、2問は最低計算をとく→ 基本はおさえる。
⇒テキストにこだわらずに、自分で投資してみたり、
関連する書籍で頭をならそう。
4、1日30分の英語→ なにかテキスト1冊暗記する
ディクテーション30分、リーディング10分を実行する。
テキストはいくつか物色しているところです。
日本の文化に関するものを見たりしていました。
5、朝手帳で予定を確認し、
夜、当日の振り返り、翌日の予定を確認する。
前倒し目標。(モノを減らす)
⇒休日の朝がのんびり過ごしているので、朝早くから活動したいとは思いつつ、
マイペースになってます。
英語は一から出直すつもりでやっていきます。
なんとなくわかるのはもう10年以上も前からですので、
その状態で続けてもあまり変わらないと思うので。
ディクテーションとリーディングを続ける習慣をつけたいと思います。
英語ができないと、9月後半からは死活問題になります・・。
(インド渡航は9月末に決まりました)
自分以外のものになろうとしない
自分本来のあり方であろうとする
という雰囲気に満ちています。
背伸びも、肩肘張ることも、「勝負」すら、
この時期はなんとなく、そぐわない感じがします。
肩の力を全部抜いてしまったときに
自然に力が入る部分があって
その部分を使って、自由に動いていく
というイメージの時期なのです。
スタートラインがいつも、自分の中にあって
「客観性」というような言葉があまり、
意味を成さないタイミングです。
自分の手元や心にぐっと惹きつけて考えることで
見えなかった出口が見えてくることもあると思います。
”自分以外のものになろうとしない
自分本来のあり方であろうとする
という雰囲気に満ちています”
以前こちらでちょっと書きましたが、
毎朝30分前後ノートに思いつくことなどを書いています。
現在2か月ちょいになったところで、
3冊目のノートのページがもうすぐなくなります。
私はよく書きとめることが多いのですが、
これまでのノートを振り返ると、
「○○さんが~だから自分はこうしないといけない」
「△さんが~しやすいように自分はこうしよう」
「~していけば、□□さんはきっとこうしてくれるだろう」
というものばかりでした。
今は誰かの固有名詞が入ることはほとんどありません。
それは意識を自分の側だけにむけたからです。
誰かに好かれたいために自分を我慢したり、
誰かに期待することをやめたからです。
それが決していいことだとは思いませんが、
ノートに「そうありたい自分」を書いていくうちに、
最近、気持ちが開放されてきているような気がしています。
最後に、またしてもTMNの曲でしめておきます!
これ聴いてたのは中学生ぐらいだったと思います。
そ~んな好きってほどではなかったけど、歌詞も曲もいいですね。
♪教科書は何も教えてくれない♪明日のことなど誰もわからない♪
8月のエントリーのタイトルはTMNで行こうと思います。
以上 57分でした。