42キロ。人生のほんの数時間

Pain is inevitable. Suffering is optional.

(痛みは避けがたいが、苦しみはこちら次第)

(略)

走っていて「ああ、きつい、もう駄目だ」と思ったとして、「きつい」というのは避けようのない事実だが、「もう駄目」かどうかはあくまで本人の裁量に委ねられていることである。この言葉は、マラソンという競技のいちばん大事な部分を簡潔に要約していると思う。


走ることについて語るときに僕の語ること走ることについて語るときに僕の語ること
(2007/10/12)
村上 春樹

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ラソンのこと、ほとんど書いてないです。

走り終わって3日たちました。

これまでも何度も書いているけれど、

「フルマラソンのつらさを乗り越えたら何でもできるような気がする」

なんて全然思えません。

翌日、職場で起きたことへの対応のほうが、

本当の自分を押し殺してるようでずっとつらく感じたりし、

周囲を巻き込んで迷惑をかけてしまったりすることを思うと、

緊張もマラソンの比ではありません。

練習が甘かったり、

レース中もマイペースすぎるからかもしれませんが・・。

走っていることに伴う苦しみもオプショナルだけれども、

走るというその行為そのものがオプショナル(選択事項)なわけで、

自分は本当の辛さや苦しみからいっとき目を逸らすために、

ただ自分のためだけに走ってます。

すごい田舎で育ったことが私にも、私の妹達にもマイナスに働いていて、目の前のものに対して満足する結果をだしてもそれが外で通用しないことを多く経験しているので、相手からの反応を素直に喜ぶことができない。

中学時代にいじめにあった妹は、大学を出てから働いてしばらく海外へ出て、また働いて・・を繰り返していたので、あるとき面接官に言われた言葉に必要以上に傷つき、今ではほぼひきこもりです。

大学時代、体育系の部活で活躍していた妹も、毎日終電で帰る生活を続けて、精神的にダウン。それがきっかけで解離性障害とかなんとか。長く職場を離れていたせいで、契約期間が終われば仕事も終わり。

思い返せば自分も、一時期暴力を受けたり(当時はその意識がなかった)20代は異性関係で苦労しました。(こういうの親の愛情がどうだこうだって言われるんだろうけど、自分は学校教育とか周囲の環境の影響が大きいと思います。)

2009年春に、読書会がきっかけで始めた駅伝大会の企画のときに、

「その日は会計士の試験があるので参加できません」

と返事をくれた人がいて、

「会計士の試験っていつからでも受けられるん?」

と特に受験資格がないことを知り、これで事務所とか開いたら妹にも仕事入るし、親の事務所も跡つげるし、全部うまくいくんじゃないんかな、と思ったのが会計士を目指そうかと思ったいくつかのきっかけのひとつ

それだって、制度が変わってしまえば今の条件で受けるのは厳しくなるし、そんなら一層のことまとめて時間とろうかと。環境を一気に変えようかと。海外へ。駄目だったときのリスクを考えて英語学校へ入ろうかとも思いました。しかし、現実的に考えて日本に帰ってきてから仕事があるのか、というところと、自分の市場価値みたいなのは自分である程度カウントしてしまうだけの頭のよさみないなものは残されていて・・。

そんなこと言いつつ、また親と話せばけんか腰になるし(一体いくつなんだ自分は・・)、

仕事も本当に、何が「まとも」で「普通」なのかがわからなくなる。

もっと地に足つけろと身内には言われるけど、

本を読めば読むほどもっと外を見ろとのメッセージに反応してしまう。

自分がどんな道へ行きたいのかはわかってきているけど、

今、どこへ向かったらいいのか、はっきりしてきたり、まったくわからなくなってきている、

そんな7つの習慣の振り返りを始めて7週間目の今週のイベントのひとつ、

フルマラソン大会参加、 でした。

ここには「哲学」とまではいかないにせよ、ある種の経験則のようなものはいくらか含まれていると思う。たいしたものではないかもしれないが、それは少なくとも僕が自分の身体を実際に動かすことによって、オプショナルとしての苦しみを通して、きわめて個人的に学んだものである。汎用性はあまりないかもしれない。でも何はともあれ、それが僕という人間なのだ。

  冒頭にあげた、村上春樹氏の本より抜粋

そんな感じのブログで、これからも相変わらず、よろしくお願いします。

Just Do It ! 

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(走り始めて4時間以上経過の37キロ過ぎあたり)