学生時代はほとんどご縁のなかった、東京大学の赤門総合研究棟にむかいました。
難民キャンプや、被災地で緊急救命医療で世界をかけめぐるドクター二宮宣文さんの講演を聴きに。
30分以上遅れて参加したにもかかわらず、なぜか一番前で著者の隣に座る、という幸運(なんてずうずうしい!)に恵まれました。
中学、高校生が読んだら、新しい進路の道が開けるかもしれません。
(しかし、私のエントリーは散文的で、内容があっちこっちしているので、
ぜひ本を買ってお読みになることをお薦めします。)
代々医者だという二宮さんですが、
大学に入るまでに2年、医学部に入るまでにさらに1年。
医学部に入ったのは21歳の時。
医学部に入ったら、自動車ラリーにはまって、
卒業したのはなんと31歳。
そんなんだから、国家試験にも二度失敗しています。
さらに、予備校で国家試験を勉強中に、無免許で医療行為を行ったということで、
逮捕までされています・・。
ようやく医者になったのは32歳の春・・・。
若いときに、いくつもの寄り道をし、何度も道に迷い、
その中で多くの人たちとつながりをつくっていく。
こうした経験が大切なのだ。
たとえ、希望が夢となってふわふわ漂っていたとしても。
この経験とつながりがあればこそ、
いったん進むべき道が決まれば希望に向けた行動を起こすことができる。
絶望なんかしていられない (2010/06) 中村 圭介 商品詳細を見る |
この本は、二宮宣文さんにインタービューしたことを、
著者の中村圭介さんが、ところどころコメント入れていく、
というスタイルをとっています。
この本のスタイルが、 スタッズ・ターケルに似ていると話している方も。
希望―行動する人々 (文春文庫) (2005/05) スタッズ ターケル 商品詳細を見る |
(こちらの講演、医療従事者、または希望学専攻の大学院生?、出版社の方がほとんどで、
なんか興味があったので着ました~というのは、私ぐらいだった気がします。
医学用語はわかりませんでしたから・・・ )
「人はふつう、何かになりたい、何かをしたいという望みをもち、 そのために何をすべきかを考え、行動に移す。 誰かに助けられることもあれば、そうでないときもある。 もちろん、懸命の努力が報われず、挫折することもある。 そんなとき、別のやり方で努力を続けるか、 あるいは、望みそのものを変える。 人が生きるというのは、こうしたことの繰り返しではないか。 望みは容易にはかなわない。 だが、かなえようと努めることは、 それだけで意味があるし、すばらしい」
この単純なことを、二宮氏を通して伝えています。
二宮先生は、その愛くるしい(ぽっちゃり?)格好から
海外ではニーノって呼ばれてるそうです。
二宮先生が気に入って、ご自身の救命救急センターの入り口に飾ってあるというのがこちらの絵。
「医者というのは、わけへだてなく患者さんを診るんだとか、差別するな、
常に最善をつくせというような気持ちを持つことだったのではないかと、
今では思うんです。子供が差し出す人形を、子供の気持ちを汲んで診てあげる、
こういう気持ち」、スピリットが大切なんです。
2008年におきたこちらの事故にもかかわっています。
二宮先生ですが、話せば笑いが起きる、というくらい、
とってもユーモアたっぷりでした。
後から会場入りした私は、どの人がドクターなのかわからず・・。
二宮先生はプレゼンをしていたので普通に考えれば、
プレゼンをしているのがご本人だと思うのですが・・・。
あまりに面白いので、被災地で救出してる姿とかまったく想像できませんでした。
二宮先生がおっしゃるには、
「希望ではあますぎる。安易に希望を与えてはいけないし、持つことのほうがまずいこともある」
本当に必要なのは野望じゃないか」と。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
希望学が定義するところの希望とは
「Hope is a wish for something to come true by action 」
希望がもてないとは、「何か」をなかなか思いつけないのか、思いついたとしても「実現」ができる自信がないのか、あるいは実現するためにどんな「行動」を取ったらよいのかがわからないのかのずれかになる。原因がわかれば、希望をもつためにどうすればいいかわかる
(一番最初にサインをいただいてしまいました。下のほうに、一緒に看護婦として働いている女性のサインも。
多分、私と同い年ぐらいだと思うのですが、なぜ看護士になったのか、お話を伺うことができました。)
自分自身に覚悟がすわった講演でした。