マックス・ウェーバー『職業としての政治 職業としての学問』

最近、お世話になっている本屋さんでは、

政治が変わってきたこともあって、

マルクスなどの政治関係の特集がされてます。

職業としての政治 職業としての学問 (日経BPクラシックス)職業としての政治 職業としての学問 (日経BPクラシックス)
(2009/02/11)
マックス・ウェーバー

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ドイツの社会学マックス・ウェーバーの本を手に取りました。

なんとなく過去に手にしたことがあるのですが、

私が読むと自己啓発書になってしまいますね・・・。

前半、「職業としての政治」について書かれているのですが、

正直ちょっと難しいです。でも読む価値があると思います。

後半、「職業としての学問」のなかで、心に引っかかった言葉。

学問という仕事では、進歩することが求められるからです。

(略)

「達成された」芸術作品であれば、「新しい時代の作品によって」凌駕されたり、古びたりすることはないものです。個々の芸術作品の重要性については、人によってさまざまな評価があります。

(略)

しかし、学問の分野では、学者の仕事は10年後、20年後、50年後には時代遅れになってしまうことは誰もが知っています。それが学者に共通の運命なのです。そしてこれが学問の意味そのものですらあります。

(略)

というのは、学問的に「達成された」仕事というものは、新たな「問い」を提起するものであって、「その問いに答える後の仕事によって」「凌駕され」ることを、時代遅れになることを望んでいるのです。学問に貢献しようとするものであれば、誰もがこの運命と<折り合い>をつけねばならないものなのです。

(略)

知性によって判断することが多くなり、合理化が進むということは、わたしたちが生活している条件についての一般的な知識が増大することを意味するものではないということになります。

(略)少なくともわたしたちが望みさえすれば、そのことをいつでも知ることができると信じているということです。

(略)

文明人にとっては、生活はつねに進歩するものであり、今ここで死ぬ者は誰も、「未来に控えている」無限なるものの高みに達することができないのです。