山田ズーニーさんの『理解という名の愛がほしい』

昨日の朝、電車の中でこの本読まなかったら、

きっと職場で耐えられなかったと思う。

理解という名の愛がほしい??おとなの小論文教室。II理解という名の愛がほしい??おとなの小論文教室。II
(2006/03/10)
山田 ズーニー

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山田ズーニーさんがほぼ日刊イトイ新聞で連載している「おとなの小論文教室」で執筆していたものをまとめたものです。

彼女のPodcastをずっと聞いていたこともあって、文章から本人の声で読んでる気持ちになりました。

フォトリーディングではそれはNGなんだろうけど・・・)

最初に紹介されている「連鎖」。

今日、よい連鎖を自分から起こせるか?

たったいま、自分の出す、この言葉から。

昨日は、本当にこの本読んでたから乗り切れた。

なぜかというと、彼女の考え方の回路がよくわかるから。

自分を俯瞰できた、いい意味で。

だから、仕事をしていて、自分のミスが発覚して「いたらなくて・・」と思う自分に対しても、「がんばってるねー」という評価に対して反応する自分にも、自分の中で実況中継していました。

たとえば、周囲からの依頼ごとが重なっていたときに、

若手の社員に、

「以前、渡した○○ってどこで管理してますか?」

といわれ、「そんなの受け取ってないぞ!」と思いつつも、

「渡した」といわれれば、なんとなく受け取ったような気になって探してみる。

だけど、絶対受け取ってない。でもなぜか「受け取ってない、あなたの言ってることは間違ってる」とはいえない。それを言ってはいけないような感じがした。しばらくして相手も探し出したら、自分で持ってた・・。よくあること。

このとき、いっそのことこう言っちゃおうと思った。

「まずは先に自分を疑いなさい!」

でもそんなこと言ったら、当時の状況からしてひどく落ち込みそうな感じだったので、ぐっとこらえた。私はつまらないことをよくこらえてるなーと思う。言い出せないのは、自分も同じような失敗をしたことがあるからだったり、いつかは自分が失敗するかもしれないから。

「忙しそうだけど、○○さんとうまくいってる?」

ってなこと言われて、「いえいえ、私の力不足で、忙しくしちゃってて・・」といいながら、「あーこれじゃぁ、○○さんに振り回されて、忙しくて大変な自分を演じちゃうなー」と思って大いに反省した。だからといって、へっちゃらなふりしてると緊張からくるストレスで、苦しくなっちゃう。そこが私の弱いところだ。

マザーハウスの山口さんだったら、こんなことで悩んでいる間に行動に移すだろうし、ズーニーさんだったらもっと深く考えるだろう、と思っていたら、「自分は読んでいる本の内容を実生活にほとんど生かしきれていない」とどこまでも深く落ち込んだ。

普段「~になりました」「~ということにします」という表現を使いすぎてる自分だから、自分の意思の宿るところはどこなのか。わからないんだけど、探してました。

ズーニーさんは、編集長をされていたころ、1967年生まれから1983年生まれと向き合っていたそうです。

なかでも、私が東京に転勤になった年、私に「読者とは何か」を開眼させてくれる契機となった78生は印象深い。

私も1978年生まれなんです。なんか78年生まれから勇気もらってるズーニーさんに、いつかお会いしたいと思いました。「へーあなたも78生なんだー」と言われるように、日々精進して参るぞ!

※この本読んで、もしかしたら、ズーニーさんの最初の編集者は、「脱「ひとり勝ち」文明論」をまとめた木村さんで、ズーニーさんが救われた若い編集者って、もしかしてミシマさんかなーって思った。この「がんばってる人たちに囲まれて」の人たちは、きっとみんなズーニーさんにつながってる。