哲学を最初から、ドゥルーズ「ニーチェ」

この週に勝間和代さんがナレーターを務めるBookLoversで紹介されていて、ピンときました。

今は行動する人になってきたから、考えるという行為についても深めたい!

(やっぱりランナーズ、かつリーダーズな人になろうっと。5分で意識転換)

ドゥルーズニーチェ

(夜アップすると画像がなくてすみません・・)

今、ちょっと抜粋

「病者のうちにより健康な諸概念、より健康な諸価値を見てとること、次には逆に豊かな生命の高み、あり余るほどの自信に充ちた生命の高みから、衰退(デカダンス)の本能が秘かに作動している深みへと眼差しを投じること、これこそが私がしばしば自分を鍛えた実践なのである・・・」

「この人を見よ」より

「私は病人の正反対である、実は私はきわめて健康なのだ」

ニーチェの語るところでは、<力>への意志はなにであれ欲しがったり、手に入れることに存するのではなく、むしろ作り出すことに、そして与えることに存するのである。<力>への意志というときの<力>とは、意志が欲する

ものではなくて、意志のうちで欲しているもの(ディオニュソスその人)なのである。<力>への意志は相互の差異によってのみ成り立つ示差的な境位であって、そこからある一つの複合体において向かい合う諸力が派生し、またそれら諸力のそれぞれの質が派生してくるのである。だから<力>への意志はまたいつも動性に富む、軽やかな、多元論的な境位として提示される。

自分が身体を鍛えていること(動的なものであること)が、

本を読んでから得るものを多くしている気がします。

ニーチェの本は2008年の始めごろ、知り合いの影響で再読したのですが、

自分なりの理解がないまま、本棚にしまってました。

ドゥルーズに関してはそれほど詳しくない(だって現代哲学ってどんどん複雑になっていって難しいんですよ)のですが、彼自身がフランスの哲学者ベルクソンの思想を継承しているというので、親近感をもって読みすすめることができています。

なんか、文学って大切だっていうのを「夜と霧」を読んでから強く感じています。

(ちなみに、「夜と霧」を読みすすめるうちに、物語を書きたくなりました。きっとその理由は「夜と霧」を読めばわかりますよ)