ランニング、マクロビオティック、
そして最近GTDで自分のタスク管理にはまっているのですが、
その中での気づいたこと。
自由は制限されたなかにある
そんな気がします。
マクロビの西野さんが、
マクロビは、食事が制限されるけれども、私はおいしいものしか食べたくない。 限られた中で最大のおいしいものを見つけるのが楽しい
ということをおっしゃっていて、
その言葉の意味がわかる気がします。
私は、自分の行動を管理するのが好きなようで、
今年はフランクリンプランナー手帳を使い始めたことで、
さらにその傾向が強くなっています。
去年まで使っていた手帳を取り出して思いました。
ある程度の制限は、政治でも権力として必要なように、
私にはその制限が、POWER(権力)として必要な気がしています。
もっとわがままにいきたい。
権力が実現されるのは、 ただ言葉と行為が分離せず、 言葉が空虚でなく、 行為が野獣的でなく、 言葉が意図を隠すためでなく、 リアリティを暴露するために用いられ、 行為が関係を侵し破壊するのではなく、 関係を樹立し新しいリアリティを創造するために 用いられるだけである。 -ハンナ・アーレント「人間の条件」-
時間管理には、具体的実体がないから難しい、
が、それがまたなんだか面白くなってきてる。
自分を実験台にして、昨日より今日の自分へ目覚めていきたいです。
・・・なんかこの文章「~気がする」って言葉が多すぎる。
断言できない、今は。