またしても、お恥ずかしいことにこちらに書いて、「今日中に読んでしまおう」と言いつつ(もちろん読んではいますが、軽く目を通しただけ)、読み終わったのはつい先日のこと。
私、大丈夫かしら。
問題は、躁なんです 正常と異常のあいだ (光文社新書) (2008/02/15) 春日 武彦 商品詳細を見る |
こちら、最初と最後の「あとがき」を読んで一度辞めてしまったのですね。
と、いうのも、「あとがき」を読みながら、
「この著者、躁だなぁ」と。(著者も躁であるという自覚のもと書いているようですが)
小学校時代の転校生の「H君」を、勉強が「得意だ」と答えていたのに、まったくふるわない。
それでも悠然としている。親が有名人とか金持ちとかいったわけでもないのに、気位が高く振る舞い、H君は「普通の日常」を過ごしている、、
それが、著者には釈然としない・・というのですが、正直意味がわかりませんでした。
たとえば、小さな町工場の社長だった本田宗一郎が「世界一のホンダになる」と、物怖じせずにいってた、という状況とH君の態度というのは似ているのではないか、と。
私が思い出したのが、こちらの映画。
キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン (2007/10/12) レオナルド・ディカプリオトム・ハンクス 商品詳細を見る |
主人公扮するレオナルド・デカプリオは、いろんな職業を偽って、悪さをしていくのだけど、
あるとき、婚約者にせかされて弁護士試験を受けるんですね。
それで、彼は、見事合格して、晴れて弁護士になるわけですが、トムハンクス扮する刑事は納得がいかない。カンニングしたんじゃないかと。
以下ネタバレです。
デカプリオは、2週間しっかり勉強して、本当に弁護士試験に受かったんですね。
自分をだまし続けていたら、偽っていた自分が本当の自分になった、という。
これは、石井裕之さんの「Fake it until you make it」の考え方。
で、何がいいたいのかと言うと、H君も、自分をいいようにFake it していたんじゃないかなぁと。
なので、どうしても、この本全体で著者が「~というのは異常である」「どうかしている」という文章が私にはとても違和感があって、読み終えたときには、うつな気分になっていました。
誰しも、気分が沈んでるときとか、妙にテンションがあがってるときとかあると思うのですが、
「躁」でなければ「うつ」みたいな考え方はやめたほうがいいと存じました。
本当、読むのにどっと疲れました。
これを読んだ日の一日は、「こんな自分ってちょと躁っぽいかも」という考えがずっと頭にあって、
なんとなく不安定にすごしました。
勝間さんが「東洋経済」で薦めていたので、読んでみたのですけど。
ふぅ。雨の日が続いていますからね。晴天の日に軽く読めばよかったかなぁ。